昭和五十年九月十日 御理解第八十一節


 「氏子十里の坂を九里半登っても安心してはならぬぞ。十里を登りきって向こうへ降りたらそれで安心じゃ。気を緩めるとすぐに後へ戻るぞ。」


 信心はもうこれまで判ったから、こういう事が判ったからそれで良いと云うことはない。向こうへ降りたら安心じゃと云う安心の心の状態が開けてが大事だと。例えば、十里の坂を九里半登ったらもうそれで成就に近いのだけれど、その後の半道の処を大事にしなければならないのです。
 と、云うことは神様のおかげの深さ、広さと云うことを分からせて頂く。
 私は今朝、御神前で御祈念させて頂いておったら、頂きます事が、丁度今から、今咲いておるでしょうが、かるかやとか、萩とかそれから桔梗とかと云う花、いわゆる秋の花を頂く。何とはなしに秋の花は淋しいものです。淋しいその姿の中に秋の花の素晴らしさがあるのです。
 次には冬の花。それこそ春にかけていわば、寒中に咲くと云う花が色々あります。
 春にはそれこそ爛漫、それこそ春爛漫の、云うならば花の咲き乱れると云う様な時期であります。
 夏にでも、いわゆるどういう日照りでもびくともせんと云う様なカンナの花とか、またはひまわりの花とか云う、それこそ大胆な勇気のあると云うか、そういう夏には夏の花が咲くのです。
 いわば四季折り折りと云うことは、いつでもどんな時でもと云うことだと思うですね。何時でもどんな時でも、云うなら心に花をと云う事だと思うです。今日はもう暑くてたまらん、まあそれを人生の上に置いてみるとです、それこそ生身にかんなをかけられる様な時もありますよね。
 或人が子供さんが大変頭も良くて、元気健康でもあった。たった一人息子にかけられておったのが、何処にどういう風に違うのか、遊びの道に入って、そして親の云うことを聞かん。しかも親が残したものがあるのを飲み尽くし、売り尽くしておる時に、そのお母さんがお届けされることに、親先生、生身にかんなをかけられる思いでございますと云う。大変つらいことですよね。たった一人息子に背かれるのですから。生身にかんなをかける思いね。そういう時にです、お知らせにzカンナの花を頂きました。カンナね、ご承知でしょう。葉が大きい、赤とか黄とかの花がありますよ。夏に咲く花です。けれどもその花の美しさ、葉の美しさ、それを分からせて頂けと云うことなんです。そこに御神慮があるんだと云うことなんです。 そこでです、それこそひまわりの様な信心。それこそ暑さに向かって、もう暑いから日陰の方へ入らじゃなくて、暑さに向かって咲いて行こうと云う花なんですね、ひまわりというのは。
 ひまわりの花の素晴らしさも、カンナの花の素晴らしさも、まずは、分かる信心を頂けと云うことなんです。
 夏から秋に入りますと、何とはなしに人間を感傷的にさせます。木の葉が散る秋の花と云うても何とはなしに淋しい。そういう様な時にあっても、その私は秋の花の淋しさ。その淋しさの中に涙の出る程有難いと云う椛目の時代に、久留米に光橋先生と云う先生が居りました。私と年は友達でしたけど、非常に優雅な方でした。
 もう書画骨董は云うに及ばず、もうお茶は達人の域と云われる位に、もう合楽にああ云う雰囲気を持ち込んだのはあの先生のおかげと云われる位にですけれども、そんな大変な資産家であり、大きな家の長男としておったんですが、それが終戦後手違いがございまして、間違いから元から信心はございましたんですけど、本気でお道の教師になろう、お取次の一つもさせて貰うと云うことから、この椛目で修行致しました。
或時に、或不行届きのことと云うか、とにかくその何と云うでしょうか、人間が冷たいところがある。私がもうボロクソにやかましく怒りましたもんですから、ついにもう男泣きに泣きだしてしもうた。そしてもう席を蹴って、もうバスもありませんから久留米まで歩いて帰ると云う訳です。
 まあ後から神にお詫びさして頂いたり、これは私がです、間違わん様にお願いさして頂いた。そしたら、明くる朝の御祈念にちゃんと参って来とりますもん。もう参らんとか、もう師匠でもないとか、弟子でもないと云う雰囲気で帰ったんですが、いわば腹を立てて帰ったんです。
 それから椛目の向こうに勿体島と云う大変蛍の名所ですけど、その上に一寸したこんもりとした森があります。
 昨夜はそこでまんじりともせずに、水のいわば、谷のせせらぎを聞きながら、云うならば泣くしこ泣かせて頂いたらスキッとしたと云うて、翌る朝出てきました。云うならば、それこそ秋の花の讃える様な人でした。何とはなしに淋しい様な蔭を持った人でした。ですから、非常に信心がセンチメンタルでした。感傷的でした。
 まあ、例えば一例を云うと、私がおしめりの時にその時はお稽古があっておりました。それで今の上野先生、それから隣の従妹の人が致しますから光橋先生が、これは富士の山の絵のついた大変素晴らしい唐津焼きでしたでしょうかね。茶碗を持ってました。見事な錦の袋に入れた、お道具なんかそれこそ最高のものを使っておりましたが、茶碗が足りないからその茶碗を使ったんです。
 それがその何日後かに使ったことが分かったんです、ね。ですからこれは私が親先生の時だけしか使わん茶碗を他の者が使うたと云うて、まあカーッとした訳でしょうね。その茶碗を袋ごめ表の、今でも椛目の入口に在りますが、手洗いの手洗い鉢がありました、自然石の。それで手洗い鉢に投げつけた。もう粉々に割れた。私は知らなかったから後でその事を聞いて、あんたばっかりは馬鹿じゃないの、と云うて怒ったことでございましたけど、そういう非常に神経の小さい人でした。そこがまた、何とも言えん先生の一つの魅力でもあったんです。云うならば、萩の秋の花の美しさの分かる人でした。ね、不思議です。本当に自分のようなつまらん者があるだろうか、本当に自分のような神様に対する屑の子があるだろうか。自分と云う者が不甲斐なく思えてきた。それこそ止め度もなく涙が流れる事があります。けれども、泣くしこ泣いた後にもう何とも言えんそのセンチメンタルのその向こうに信心の喜びがあるのです。
 そういう屑の子我にすら神様はかくまづお見捨てなく、お加護してあるんだと云う味わいとでも申しましょうかね。
 冬には冬の花がある。それこそ寒中にそれこそ、香ばしいまでの薫りを放つ様な花がある。梅の花である。こここそ辛抱しどころ、それこそ信心辛抱の梅の花である。やがて咲綻ぶであろう。やがては鴬もまた来て止まるであろう。やがてはこれが実りにもなるだろうと云う思いを持たせて頂いて、寒中の花にも花の美しさが分かる様な信心を頂きたい。
 春夏秋冬、その四季折々の花の美しさが分かる信心を、今日は私は頂いた様な気がするんです。花の様々を頂いて、そして今日はこの八十八節を最近続けて此処を頂いとりますね。もう何回目ですか続けて頂いとりますが、今日はそういう角度から、例えば九里半登っても油断は出来ない、云うならばです、夏の花だけは好きだけれども秋の花は嫌いと云うのではなくて、四季を通してのその花の美しさと申しましょうか。
 昨日、一昨日はハワイから花を送って来ました。もう一本一本にね、風船のごとあるとを根にくくり付けてある水を入れて、あのあんなのを私は初めて見ました。あの真っ赤な花があるでしょうが。造り花の様なの、あれの真っ白なのです。そりゃ見事。赤と白をそれをこんなに沢山、ハワイに行った人のあちらの御信者さんがことずけています。そのためにその人は自分の持って來る荷物が持って来られない。これはもう合楽の金光様にと云われとるか、あの自分の荷物はあちらに置いてこれを持ってきたと云っております。
 それこそ、ちょいと見ると何か毒々しい感じがしますけど、よく見よると、やはりハワイ常夏の国ハワイに咲く花の美しさと云うものがそこにあります。四季折々では在りません。
 世界中に様々な花が咲きます。その様々な範囲に於てどの様なことにも有難いと答が出せれる。どういう花でも美しいと思えれる心。そういう信心が出来たときに、いわゆる夏の花と冬に花と春の花だけは好いとるけれども、また秋の花はあげな淋しい花は嫌いと云うときは、まあだ九里半登ったところじゃないでしょうか。あともう一つその秋の花も好きになれれると云うのが、私はあと半道の信心。
 自分が嫌いなものが好きになれれると云うのが、いわば只の修行では出来ません。人間でもそうです。もうあん奴は面を見るとも好かんと云うのがおりますよ。やはりね、けれどもそういう好かん人が自分の周囲におったら、もう私の世界はそれだけ狭くなった訳です。
 そこで好きになる本気での信心をさして貰ってです、どういう事もおじないと云う人にでも愛が持てれる。どういう花でも美しいと云うことが分かる信心を頂いたときに初めて、十里の坂を登りきって、いわゆるもう安心だと、神様が安心して下さる様な心の状態が開けた時じゃないでしょうか。
 そういう開けたと云う時はね、口で言えばたった十分か十五分の話ですけど、それを自分のものにしていくにはです、やはり修行がいります。それに取り組まねばいけません。ね、いよいよ頂上を極める一つの楽しみとか喜びが頂ける様にならなければ、なかなか全うし得ません。
 昨日は土居の久富勇さんところの、いわば恒例の宅祭りでした。皆さんも御承知の様に何時もあそこの椅子に腰掛けておられる方です。実意丁寧な信心、しかも夫婦親子一家を挙げての信心です。ところが次々と不幸なことが起こって來る。自分はああ云う神経リュウマチで手が動かんような、最近はおかげを頂いてもう体が軽うなってこの頃歩きなさる足取りが軽うなって来た。この頃朝目の覚めるのが楽しい。体が軽くなって行くのが有難いと云って御礼を云うとられますが、つい百日位前に奥さんが亡くなられました。長い間患ってもう参られる。おかげを頂かれる一寸前でした。亡くなられる一寸前迄お参りが続きました。 もうね、こんなにして参って来よんなさいました。もう本当に素晴らしい信心を一家を挙げてなさりよりました。
 丁度亡くなられる十日位前に、特別奉修員の方達が、特別奉修員の美登里会に入っとられましたから、美登会の方達が久富くにかさんと申しとりました。くにかさんのお届けがありました。勢祈念の御祈念がございました。その時に私が頂きましたことは、皆さん覚えておいででしょうか。くの一と頂きました。平仮名でくの一と書くと女と云う字になります。これは、女の忍者のことをくの一と云うそうですね。
 皆さんがこうやって一生懸命全快を願うておられるけれども、実を云うたらこれは暫く隠れ草と云う事。女の忍者、暫く隠れると云う事は、この世からあの世にかくれると云う事です。
 これは丁度十日位前のことでした。本当に有難いお国替えのおかげを頂きましたけれども、やはり親戚やら何やらの都合で、仏教で告別式がございました。それから五十日祭の時に初めて合妃祭と五十日祭をなさいましたけれども、だから家には立派なお神様がおまつりしてあるけれども、霊様がおまつりしてない。やはり仏壇におまつりしてある訳です。
 昨日あちらに参りましてね、昨日は神様の横にわざわざ神床を作ってりを立てて、お明りも明々と立ててお写真を前にして御祈念を皆でさして貰うから、そういう神床を造っときなさいと云うときましたから、綺麗に出来とりました。それで御礼をさして頂いとりましてね、あの御本部参拝の時に合楽のバッジを付けます。亀甲形の中に合楽と書いてある。その亀甲形のね、そのバッジで頂くのです。ああおかげを頂いとるなと見る見る間に真っ黒に、墨をつく様に消える、合楽が消えるとを頂きました。私はすぐ思うた。さもあろうと思うた。あれ程金光大神の信心しとられたものが、仏教で告別式をされたと云うのかね、いわゆる亀甲と云うことは、私の信心の世界と云うてよいでしょうね。亀甲と云うものはそういうことです。そこで合楽と云う事は何時も頂きますように、神も助かり氏子も立ち行くと云う様にですね、あいよかけよで立ち行くと云う信心です。それが消えておる。それを裏付けする様にです、勇さんが亡くなられて二十日位経つてからだったでしょうか、家内がお夢の中に現れて家内といわゆる、夫婦生活をして居るところを頂いた。
 ところがね、入らんと云うて嘆かれるところを頂かれるそうです。それではね、交流しないのです。交流しなければよいものは生まれないです。だから夕べはこのことを本当に申しました。
 もう親戚の方がどうであろうか、例え云う人があろうがね、どうでも本式に改式のおかげを頂いて、あれ程しの信心、これ程しの信心を現在頂いとるではないか、世間の者は笑いよろう、勇さん一家はああじゃけれども、自分は体はあげんなりで、家内は亡くなって、それに田圃を賣って畑も賣ったと云う中に何十年と信心を続けて馬鹿んごたる云うちから思うだろう。けれども、一つ金光四神様のことを思いなさい。二代金光様が四十の若さで亡くなられたけれども、世間の者はどう云うて笑うか知らんけど、そのことは残念だけれども、後を見ておって下されと云うて亡くなられた。
 十三才である金光様が後を三代様が後を継がれて今日の金光教があるのです。もう金光様は仕舞えたと思われた。
 又は、私を思いなさい、もうあれ程信心しておかげ頂かれんちゃと云う位に一家を挙げてその何十年の信心ですから、一生懸命に信心させて頂いとるんだけれども、肝心要の商売は取り上げられる、もうあと十五日生きていれば凱旋して帰れる筈の弟の戦死が云うて来たのは終戦後私共が北京から帰ってきてからの事であった。
 しかも尋ねると七月三十日に亡くなった。あと十五日生きておると神様どうかなりませんでしたかと、神様をごろぐりたい感じでした。けれどもです、おかげを頂いて信心が続けさせて頂いたから、今日の合楽があるのです。
 だから、神様の思い、願いと云うものは深いです。亡くなったとか、生きたとか、潰れたとか潰れなかったとかと云う事は神様が見られたら小さいです。そこの信心辛抱させて頂いて現金光様がある様に、現合楽がある様におかげを頂いて貰う為には、四季折々の花の美しさが分かるようにならなければ駄目だと云う訳です。信心しよってこげなことが起こってからもういけないと云うことではいけんと云うことです。
 これも丁度二年か三年か前に色紙に私が露草の梅見先生が露草を書いて私に下さってあった。夏の露草と云うのがありましょう、雑草の中に小さい可愛い花を持った花です。だから私はその賛にです、私は忘れましたけれども、神様の思いの深さと云うこと。
 それがね、最後に露草のつゆと云う賛を書いてそれを上げてあります。本当にこれから一年二年後のことを神様が云い続けておられる感じを頂きました。
 露草と云えば、それこそ露よりも弱い人間の命である。しかも露草の上に露が宿っているところなんです。
 そこで私は初めのところを忘れました。もうね、その露草の露です。それにはね、神様の思いの深さを云うのか上に書いております。神様の思いの深さと云うものは私共にはその場では分からない。どういう御神慮であるか、どういう訳であと十五日待つときゃ凱旋出来るのに、どういう訳で戦死したのか、どういうわけ、あれだけの御神慮を受け取られる人が、二人の金光様、四神様たった四十の若さで亡くなられたのか分からないです。けれどもです、先のことは分からないけれども、そのことも神様の御神慮の中にあるんだと分からせて頂いた。信心を進めていく、云うならばどの様な事毎も神様の御都合、どの様なこともおかげを頂ける信心こそ、私が今朝から神様から頂いた四季折々の花の美しさが分かった時ではなかろうかと思うのです。
 だから、自分の都合の良いときだけがおかげ、都合の悪いことはおかげでないと決めつけることは、これはまあだ自分の信心が足らんのだと思うて、そこから一段と信心を進めて行ける信心姿勢。そういう信心を身につけてこそ初めて向こうへ降りたら安心じゃと云う様なおかげが頂けると思うですね。  どうぞ。